メダリストたちの成功法則。夏季五輪編を2回に渡り取り上げましたが、今回は冬季五輪編です。来年2022年の北京五輪に向けての参考にしてください。
※環境に負けない
・清水宏保(男子スピードスケート、長野五輪金メダル、ソルトレイク五輪銀メダル)
身長162センチ、おまけに「喘息」持ちだった清水選手。「背が小さいから無理」「喘息持ちがスポーツなんて間違っている」というのが世間の常識でした。しかし清水選手は、太ももが88センチになるまで鍛えに鍛え、メダリストになりました。それは、「非常識と言われていたことでも、結果を出せば常識に変わる」という決意があったからです。
※プレッシャー
・黒岩彰(男子スピードスケート、カルガリー五輪銅メダル)
黒岩選手は、「五輪には魔物がいるという。でも魔物を作っているのは自分なのだ。作らなくてもいい魔物を心の中に作ってしまう」という名言を残しました。メダル確実と言われた1984年のサラエボ五輪で大惨敗。プレッシャーという魔物を自分で作ってしまった結果でした。大惨敗を受け、そのプレッシャーを十分な準備と心の強さで克服し、1988年のカルガリーオリンピックで悲願のメダルを獲得しました。
・ダン・ジャンセン(男子スピードスケート、リレハンメル五輪金メダル)
4度のオリンピックに出場、世界記録を8回も更新した選手ですが、メダルを手にできたのはラストチャンスといわれた4度目のリレハンメル五輪でした。2度目のオリンピックであるカルガリーでのレース前、実姉が白血病で亡くなる不幸があり、そこから勝てなくなったのです。しかし、最後のリレハンメル五輪の1000メートルに臨む前、「お前はいつだって速かったじゃないか。さあ、滑って来い」と自分に言い聞かせ、自分を取り戻して金メダルを獲得しました。
※敗戦(敗北、失敗)
・荻原健司(ノルディックスキー、アルベールビル金メダル、リレハンメル金メダル)
1992年のアルベールビル五輪前に、いち早くV字ジャンプに取り組みましたが、何度も失敗しました。「失敗するか成功するかはやってみなければわからない。失敗したら、その時点で考えたらいい」と試行錯誤を繰り返し、2大会連続の金メダルに結び付けました。
※課題
・原田雅彦(男子スキージャンプ、長野五輪金メダル)
5回の冬季五輪出場。現役生活後半はつねに引退説がささやかれていました。それを、「競技をやめてしまったら、課題を乗り越える楽しみなんか味わえないんだから」と常に課題を見つけることによって、37歳にして長野五輪の金メダル獲得につながりました。