親愛なるcitrus読者の皆さまは、『週刊女性』で好評連載中の『蛭子能収のゆるゆる人生相談』をご存じだろうか?
読んで字のごとく「世界一ゆるい70代」のキャッチフレーズでならすあの蛭子能収(72)が、読者のあらゆる人生相談に答える形式で、かなりテキトーなロジックをあくまで自己チューに展開しつつ、最後はいつも自身の「ライフワーク」とも呼べる競輪に例えておしまい──おおよそは「悩みが解決した!」というより「こんなちっぽけなことで悩んでいる自分がバカらしくなってきた…」と、不思議な読後感を与えてくださる内容であったりするのだけれど、そんな蛭子さんが珍しく(?)、同連載で真っ当なことをおっしゃっていた。
21歳・女子学生による「彼氏の口癖が『死ね』で、ちょっと約束の時間に遅れただけでも『死ね』と。冗談だとはわかっていてもすごく嫌です。どうすればいいのでしょう?」なる相談に対する回答なんだが、そのアドバイスがまさに完ペキ! あまりに素晴らしすぎるのだ。
オレは死ぬことがなによりも怖いと思っています。楽しく自由に生きていくためには死を感じることから遠ざかって暮らしたいもの。
(中略)彼がどんな人かわかりませんが、離れたほうがいいと思いますよ。本当に相手が死んだらゾッとすると思いますがそれさえ考えられない。そんな想像力がない人とは交際しないほうがいいですよ。冗談でも相手が不快と感じる言葉を口にする人とは距離を置いたほうがいいですよ。(後略)
まったくもってそのとおりだと私も猛烈に首肯する。たとえば、相当親しい間柄である友人や恋人が、私が犯したわりと致命的な粗相を諫めるとき、あえて効果的なダメージを与えるため「死ねばいいのに…」というキツイ捨て台詞をボツリつぶやくようなケースがあるが、そういうのはまだ(辛うじて)許せる。が、自分も気づいていないくらいに「死ね」を口癖のごとく連発しちゃうヒトって、どうなんだろう? 蛭子さん同様、私もその手の無神経な人種とは極力距離を置きたい、絶対に深い付き合いはしたくない。
ネットのコメント欄やSNS上でもけっこう見かけますよね? 無記名で投稿できる罵詈雑言なのをいいことに、安易に「死んでください」だとか「死んだほうがマシ」だとか……って書いちゃうヒトが。
「死」が混じっている言葉って、仮に自分に向けられたら、ものすごい破壊力、殺傷能力がありますから! かつて50年近く前、『レインボーマン』というヒーローモノに登場する悪役団体名が「死ね死ね団」! そのテーマ曲は冒頭が「死ね 死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ〜♪」で(笑)、結局はその強烈すぎるインパクトゆえ、コンプライアンスの面ではまだのどかだった昭和の時代ですら、放送自粛の憂き目にあってしまいましたし……。なんなら、ヤフコメあたりで「死」なる漢字を多用しているあなた、ボクからも無記名で「オマエこそ死ね」とでも返信してみましょうか? 100%凹みますよ〜。
もし「死の強要」がおのれの身に降りかかってきたら……蛭子さんもご指摘しているように、これくらいの想像力さえも欠如しているような人間には、もちろん私はなりたくはない。さらには至極当たり前のこと、周囲の仲間たちにもにもなってほしくない……。