無名の選手が力強く歩む、シンデレラ・ストーリーの原動力
少年時代の中澤佑二は、決して将来を約束された選手ではなかった。
中学時代も高校時代もほぼ無名。ごく一部のエリートだけが生き残るアスリートの世界で、中澤は一歩ずつ着実に成長し、やがて日本を代表するDFにまで成長した。そんなとびきりのシンデレラ・ストーリーを演出したのは、彼が心の中で強く持ち続けた「想い続ける力」だ。
現在35歳。一般に言われる肉体的なピークを過ぎてもなお、中澤は最前線で輝き続けている。そんな彼のエネルギーの源は、心の中に宿る強い想いにあった。
中学時代も高校時代もほぼ無名。ごく一部のエリートだけが生き残るアスリートの世界で、中澤は一歩ずつ着実に成長し、やがて日本を代表するDFにまで成長した。そんなとびきりのシンデレラ・ストーリーを演出したのは、彼が心の中で強く持ち続けた「想い続ける力」だ。
現在35歳。一般に言われる肉体的なピークを過ぎてもなお、中澤は最前線で輝き続けている。そんな彼のエネルギーの源は、心の中に宿る強い想いにあった。
■ブラジルに行かないとプロになれない。そう強く思い込んでいた
……まずは、サッカーを始めたきっかけを教えてください。
「本格的に始めたのは小学校6年生の時。だいぶ遅いですよね。仲のいい友達がサッカー少年団に入ると言うので、『それなら俺も』という『ノリ』で始めた感じです(笑)。当時はサッカーでメシを食べていくなんて想像もできなかった。高校1年の頃にJリーグができて、その時に初めて『プロになりたい』と思ったのかな」
……高校卒業後はブラジルに留学されましたね。
「僕は選抜チームに選ばれたり、スカウトに声を掛けられたり、周りに注目されたりする選手じゃなかったので、日本でプロになるのは無理なんじゃないかと思っていました。だから、あわよくばブラジルでプロになって、注目されて、日本のチームからオファーが来る……そういう方法しか考えつかなかったんです」
……周りの友人が大学進学や就職を考える中で、何の保証もないブラジルでプロを目指すという決断に不安は?
「確かに、大学に行っても就職してもサッカーはできる。でも、それじゃあサッカーに集中できないんじゃないかと思ったんです。大学なら勉強や先輩後輩の上下関係もあるし、就職したらお酒をたくさん飲まされると聞いていたので(笑)。僕はただ、サッカーがやりたかっただけ。単純な理由なんですよ。ブラジルに行かないとプロになれない。当時の僕はそう思い込んでいたんです」
「本格的に始めたのは小学校6年生の時。だいぶ遅いですよね。仲のいい友達がサッカー少年団に入ると言うので、『それなら俺も』という『ノリ』で始めた感じです(笑)。当時はサッカーでメシを食べていくなんて想像もできなかった。高校1年の頃にJリーグができて、その時に初めて『プロになりたい』と思ったのかな」
……高校卒業後はブラジルに留学されましたね。
「僕は選抜チームに選ばれたり、スカウトに声を掛けられたり、周りに注目されたりする選手じゃなかったので、日本でプロになるのは無理なんじゃないかと思っていました。だから、あわよくばブラジルでプロになって、注目されて、日本のチームからオファーが来る……そういう方法しか考えつかなかったんです」
……周りの友人が大学進学や就職を考える中で、何の保証もないブラジルでプロを目指すという決断に不安は?
「確かに、大学に行っても就職してもサッカーはできる。でも、それじゃあサッカーに集中できないんじゃないかと思ったんです。大学なら勉強や先輩後輩の上下関係もあるし、就職したらお酒をたくさん飲まされると聞いていたので(笑)。僕はただ、サッカーがやりたかっただけ。単純な理由なんですよ。ブラジルに行かないとプロになれない。当時の僕はそう思い込んでいたんです」
■頑張るしかない環境で、逃げ道がなかったことが良かった
……実際にブラジルへ行ってみて、どうでした?
「『ヤバいところに来ちゃったな』って感じでした(笑)。言葉は通じないし、練習着は貸してくれないし、スパイクは盗まれるし、パスは回ってこないし……。正直、『日本にいた方が良かったかも』なんて考えましたけど、簡単に帰れる状況じゃなかったので。きっと、逃げ道がなかったことが良かったんでしょうね。頑張るしかないという環境が、自分を頑張らせてくれたんだと想います」
……当時はまだ、ブラジル人にとっては「また日本から留学生が来たのか」という雰囲気だったのではないかと。
「そう、ホントにそういう感じでした。向こうで言われたんですよ。『サッカーはお金を稼ぐためのものであって、お金を払ってやるもんじゃない』って。その言葉はすごく衝撃的でしたね」
……そんな厳しい環境で周囲から認められるために、どんな工夫を?
「とにかくイジられることを嫌がらないことですよね。今振り返れば、ものすごくバカらしいことをいろいろとやりましたよ。でもいつも笑って過ごしていれば、みんながどんどん絡んでくれるようになる。お互いのことを理解するためには、自分の殻に閉じこもらないことが大切なんですよね。そうするうちに、少しずつパスが回ってくるようになった気がします」
……1年間の留学期間でプレーヤーとしての成長も感じられたのでは?
「いや、それはあまり。やっぱり、サッカーはたった1年で上手くなるもんじゃないって思いますよ。身に付けたことがあるとすれば、プロの心構え、つまりスポーツの世界でよく言う『ハングリー精神』ってヤツですよね。もし周りの人から見て自分が上手くなったように感じるのであれば、それは単に、ブラジルのサッカーに『慣れた』というだけのことだと思います」
「『ヤバいところに来ちゃったな』って感じでした(笑)。言葉は通じないし、練習着は貸してくれないし、スパイクは盗まれるし、パスは回ってこないし……。正直、『日本にいた方が良かったかも』なんて考えましたけど、簡単に帰れる状況じゃなかったので。きっと、逃げ道がなかったことが良かったんでしょうね。頑張るしかないという環境が、自分を頑張らせてくれたんだと想います」
……当時はまだ、ブラジル人にとっては「また日本から留学生が来たのか」という雰囲気だったのではないかと。
「そう、ホントにそういう感じでした。向こうで言われたんですよ。『サッカーはお金を稼ぐためのものであって、お金を払ってやるもんじゃない』って。その言葉はすごく衝撃的でしたね」
……そんな厳しい環境で周囲から認められるために、どんな工夫を?
「とにかくイジられることを嫌がらないことですよね。今振り返れば、ものすごくバカらしいことをいろいろとやりましたよ。でもいつも笑って過ごしていれば、みんながどんどん絡んでくれるようになる。お互いのことを理解するためには、自分の殻に閉じこもらないことが大切なんですよね。そうするうちに、少しずつパスが回ってくるようになった気がします」
……1年間の留学期間でプレーヤーとしての成長も感じられたのでは?
「いや、それはあまり。やっぱり、サッカーはたった1年で上手くなるもんじゃないって思いますよ。身に付けたことがあるとすれば、プロの心構え、つまりスポーツの世界でよく言う『ハングリー精神』ってヤツですよね。もし周りの人から見て自分が上手くなったように感じるのであれば、それは単に、ブラジルのサッカーに『慣れた』というだけのことだと思います」
■這いつくばってでもお願いするしかない。これを逃したら次のチャンスはない
約1年間の留学期間を終えて、中澤は日本に戻って来た。しかし、プロの道は簡単には開けなかった。
チャンスが巡って来たのは母校のサッカー部に混じって練習していた20歳の頃だ。ある日行われたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)ユースチームとの練習試合を千載一遇のチャンスととらえ、本人いわく「ゴリ押し」で練習生としての入団を懇願した。
どうしてもプロ選手になりたい。その思いが、中澤に夢の実現へと向かう第一歩を踏み出させた。
「もう、それしか手がなかったですからね。這いつくばってでもお願いするしかない。これを逃したら次のチャンスはない。そう思っていました」
チャンスが巡って来たのは母校のサッカー部に混じって練習していた20歳の頃だ。ある日行われたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)ユースチームとの練習試合を千載一遇のチャンスととらえ、本人いわく「ゴリ押し」で練習生としての入団を懇願した。
どうしてもプロ選手になりたい。その思いが、中澤に夢の実現へと向かう第一歩を踏み出させた。
「もう、それしか手がなかったですからね。這いつくばってでもお願いするしかない。これを逃したら次のチャンスはない。そう思っていました」
■ものすごく頑固な性格。「これ!」と決めたら絶対にやる
……愚問かもしれませんが、どうしてプロになることを諦めなかったんですか?
「いやあ……どうしてと聞かれても分からないですね。とにかくプロサッカー選手になりたという思いが自分にそういう行動を取らせたと思うし、その時の自分の態度を客観的に見ることはできなかった。プロになるためにはこれしかない。とにかく『ダメ元』でやるしかない。そういう気持ちだったんだと思います」
……大胆でオープンな性格が夢の実現へと導いたんですね。
「いや、そうじゃないんですよ。僕はもともと、寡黙に、自分の殻に閉じこもって一直線にしか進めないタイプの人間だし、根っこの部分では今も変わりません。でも、ブラジルに行って、そんなことじゃこの世界では通用しないということを思い知らされたんです。若い頃にそれを感じ取れたことが良かったですね。そうじゃなきゃ、今の僕はなかったと思いますから」
……必要に応じて自分を変化させながら、ブレない芯を持ち続けることが大切であると。
「きっと、ものすごく頑固なんですよ、僕。『これ!』と決めたら絶対にやる。他人がどうであろうが、自分らしさを貫く。そういう意味では、芯の部分には柔軟性がないんですよね。頑固過ぎて、全く曲げられませんから(笑)」
そう話す中澤の表情には、寡黙に、しかし激しくプレーするピッチでは絶対に見られない柔らかさがあった。
(All About FOOTBALL編集部・細江克弥)
<関連リンク>
・サッカーを丸裸にする分析テクノロジー
・川崎フロンターレ“必殺仕掛け人”天野さんの仕事術
・Yokohama F-Marinos Facebookページ
「いやあ……どうしてと聞かれても分からないですね。とにかくプロサッカー選手になりたという思いが自分にそういう行動を取らせたと思うし、その時の自分の態度を客観的に見ることはできなかった。プロになるためにはこれしかない。とにかく『ダメ元』でやるしかない。そういう気持ちだったんだと思います」
……大胆でオープンな性格が夢の実現へと導いたんですね。
「いや、そうじゃないんですよ。僕はもともと、寡黙に、自分の殻に閉じこもって一直線にしか進めないタイプの人間だし、根っこの部分では今も変わりません。でも、ブラジルに行って、そんなことじゃこの世界では通用しないということを思い知らされたんです。若い頃にそれを感じ取れたことが良かったですね。そうじゃなきゃ、今の僕はなかったと思いますから」
……必要に応じて自分を変化させながら、ブレない芯を持ち続けることが大切であると。
「きっと、ものすごく頑固なんですよ、僕。『これ!』と決めたら絶対にやる。他人がどうであろうが、自分らしさを貫く。そういう意味では、芯の部分には柔軟性がないんですよね。頑固過ぎて、全く曲げられませんから(笑)」
そう話す中澤の表情には、寡黙に、しかし激しくプレーするピッチでは絶対に見られない柔らかさがあった。
(All About FOOTBALL編集部・細江克弥)
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