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中村憲剛が、ピッチの中央で“サッカー愛”を叫ぶ

インタビューは思わぬツッコミから始まった

午前中に行われたトレーニングの後、30分ほど経った頃に中村憲剛は現れた。

私服に着替えた彼と一緒に、小高い丘の上にあるクラブハウスから再び練習場に下りる。立ったり座ったりして撮影をこなす。現場に慣れたカメラマンと取材に慣れた選手の仕事ぶりはいたってスムーズで、サクサクと進む。

「じゃあ、ちょっと話しながら撮影しましょうか」

来た。最もイヤな時間である。つまりカメラ目線の“決めカット”ではなく自然に会話する表情を撮りたいのだが、カメラマンにそう言われて話しかけるのはライターの仕事だ。

相手の選手が顔見知りの選手ならいい。構える必要もない。しかし顔見知りの選手でない場合、これがかなり難しい。自然に会話している表情を撮りたいのに、最初のひとことが「はじめまして」となるのはどうも不自然。自然で柔らかい表情を引き出せるはずもない。いつもそんな気がしてあえてフランクに話しかけてみたりもするのだが、カメラを意識すると会話のタイミングも乱れ、ぎこちない雰囲気になってしまったりもする。

とはいえまあ、いつものことだ。だから一応滞りなく“会話しながら”の撮影を終えると、憲剛は言った。

「はじめまして、ですよね?」

……あ、はい。すいません、いきなり馴れ馴れしくて。

「いやいや。このお仕事って、長いんですか?」

……そうですね。ちょうど10年くらいになります。

「あ、そうですか」

……そうなんですけど、実は川崎フロンターレにはあまり縁がなくて。

「ですよね。さっきから『たぶん初めてだよな~』って思ってんたんです。スタジアムのミックスゾーン(取材エリア)でもお見かけしたことがないような。違ったらすいません」

……いえいえ、その通りです。スタジアムに行っても、いつも端っこの方にいるので(笑)。というか、インタビューしたことがあるならまだしも、ミックスゾーンで見る記者の顔って覚えてるもんですか?

「はい、僕は結構覚えてる方だと思いますよ。直接話すことがなくても、よく来ている記者さんの顔はだいたい。他の選手はどうなんだろう……」

さすがだな……と思わず感心してしまった。

“憲剛クラス”の選手なら、おそらく毎週、多い時には週に何本もインタビューを受けているに違いない。試合後のミックスゾーンならなおさら、いつも彼の周りにはたくさんの記者がぶら下がっている。すれ違うように次から次へとやって来るインタビュアーや記者の顔など、いちいち覚えていられない――
のが、一般的な選手の感覚ではないかと思う。

しかし憲剛の目はあちこちに行き届いているらしく、図らずも初対面であることがすぐにバレてしまった。だから、逆にこちらは構えた。もしかしたら、“一見さん”の自分に対してはそれほど多くの言葉を発してくれないかもしれない。

ところがそれは、大きな勘違いだった。インタビュー開始から1時間後、憲剛がそれほど器の小さい男ではないことははっきりと分かった。その独特のキャラクターは、ある意味では理想のアスリート像そのものであり、しかしまたある意味ではアスリートっぽくない。ある時は一流のプロ選手と話している感覚に陥り、またある時は幼なじみと話しているような感覚に陥る。

だから、インタビューのスタートは“モード”の切り替えを間違えないように細心の注意を払った。しかし1時間後、結局僕は司令塔・憲剛の不思議なパスワークに巻き込まれて妙にいい気分でクラブハウスを後にすることになる。

■プレーヤーとしてのベースはスターとして輝いた小学生時代に

……ではでは、改めてよろしくお願いします。今回は「司令塔論」というテーマで憲剛さんに話を聞きたいなと思ってきました。

「なるほど。了解しました。司令塔論ね……」

……でもまあ、テーマは気にしないでください。何とな~く設定したテーマなので、むしろざっくばらんに話していただいて、内容が変わればテーマも変えちゃいますので。今回は質問リストも作らずにやって来ました。

「そうなんですね(笑)。僕もそういう方がいいというか、自由に話す方が好きなので全く問題ありません。司令塔論っていうのは、何となく頭の中に入れておきます」

……ありがとうございます。じゃあ、まずは少年時代の話から。

「そこからっすか(笑)」

……はい(笑)。えっと……憲剛さんって府ロクサッカー少年団の出身ですよね。超名門。

「知ってるんですか?」

……もちろん。「府ロク」って名前が特徴的だし、僕、憲剛さんの1つ上の学年で神奈川県出身なので、その頃の府ロクの強さはよく知ってます。

「そうなんですね。そうそう、僕の1コ上は全国大会に出場しましたからね。あのチームは強かったなあ」

……ですよね。上の学年の試合にも出てました?

「はい。1コ上の学年は人数が少なかったんですよ。だから、基本的にはずっと上の学年でやってました。自分の学年では全部一人でやっちゃうような感じだったんですけど、上の学年では単なる“パーツ”でしたね。すごい選手がたくさんいたので」

……じゃあ対戦したことがあるかもしれないですね。ところで府ロクって、やっぱり指導者が良かったんですか?

「そうですね。“楽しむ”と“勝つ”を両立させるような指導をしてもらいました。個を伸ばすこと、考えながらプレーすることも教わりましたね。だから、今の自分のベースはあの時代にあると思います」

■中学1年で直面した挫折。サッカーを離れた半年間のブランク

……なるほど。素朴な疑問なんですが、府ロクで1つ上の学年の試合に出るような選手だったらJリーグの下部組織、当時はまだJリーグは始まってませんでしたけど、読売とか日産のジュニアユースに入るという選択肢もあったのでは?

「はい、そういう選手、ウチのチームにも何人かいました。でも僕、今で言うJの下部組織みたいなのがあまり好きじゃなかったんですよ。だから、ちょうどその時に地元で立ち上げられたクラブチームに一期生として入って……」

……あ、それ僕も同じです。そういう時期でしたよね。Jの下部組織じゃない、地域のクラブチームが立ち上がり始めた頃というか。ちなみに僕も一期生としてFC湘南というチームでプレーしていました。

「そうなんですね。じゃあよく分かると思うんですけど、中学1年で一期生として入ると、対戦相手がいつも中3じゃないですか」

……そうそう! あれはかなりキツい(笑)。

「だから俺、半年でやめちゃったんです」

……えっ!?

「むしろ、よくやめなかったですね。同じ環境なのに」

……いやいや、そんなに簡単にやめられないですよ。というか、ウチのチーム、めっちゃ強かったので相手が中3でも勝ちまくってたんです(笑)。

「それだったら俺もやめなかったかも(笑)」

……そうかも(笑)。

「クラブチームって、デカくて速いヤツが集まるじゃないですか。しかも、相手は中3。俺、身長も伸びなかったし、そういうサッカーについていけなかったんです。小学生の頃は何でもできたのに、急に何もできなくなってふてくされちゃった。だからあっさりやめて、中2から通っていた中学校の部活に入りました」

……中2から? ということはブランクがありますよね。半年くらい。

「はい(笑)。よく戻ってこられたと思いません?」

……思います。一度やめちゃったら、戻ってくるのってかなり難しいですよ。

「ですよね。でも、俺の場合、サッカーから離れることは考えてなかったんです。だから遊び程度ですけどボールはずっと蹴っていました。で、『やっぱりちゃんとやろう』と思い始めた頃に部活に入って……ただ、中学校の部活はめっちゃ弱かったので『高校から頑張ろう』という感じでしたね」

■ゴールデンエイジをすっ飛ばして日本代表になる「超奇跡」

……ちなみに「弱い」って、どのくらい?

「うーん……その部活自体、それほど熱がなかったというか。まあ、よくある普通の部活ですよね。当時は今ほど“サッカー熱”が普通の中学校にまであったわけじゃなかったので。顧問の先生も途中からラグビー部と兼任でしたし、練習もちょっとやって、ミニゲームで終わり。そういう感じだったんですけど、俺としてはちょうど良かったんですよね」

……というと?

「もう、完全に普通の選手に成り下がっちゃっていたので。つまり挫折したんですよね。身長も伸びないし、強さも足りないから一対一で勝てないし。だから、楽しみながらボールを蹴っているくらいがちょうど良かったんです」

……でも、中学生の3年間ってかなり重要ですよね。そこからよく日本代表にまで……。

「はい、間違いなく重要な時期です。自分で言うのもなんですけど、はっきり言って“超奇跡”ですよ。その期間って、育成における『ゴールデンエイジ』って言われているじゃないですか。でも、俺の場合は完全にそこをすっ飛ばしているんです。だから、すっ飛ばしても大丈夫なんだよって伝えたいくらい(笑)」

……なるほど。一方で、中学生の頃にスーパースターだった選手が、結局何らかの原因でサッカーをやめてしまうケースってすごく多いじゃないですか。

「ホントにたくさんいますよね。サッカーが好きじゃなくなってしまったり、サッカーより面白いことを発見してしまったり。それから、“お山の大将”としてやってきたからこそ、自分より上手い選手が出てくると腐ってやめてしまうケースもある。結局、メンタリティーだと思うんですよ。1度コケても立ち上がれるメンタリティーがないと、中学生や高校生はすぐにやめてしまう」

……よく分かります。プロになれるかどうかの違いって、結局サッカーに対する思いの違いでしかないというか。

「本当にそう。やっぱり、本当にサッカーが好きな人しか生き残れないんですよね。サッカーが嫌いなのにトップにい続けられる人なんて、絶対にいないですから」

同じ時代を生きたサッカー少年であったという共通点は、少年時代の彼の気持ちや行動を鮮明にイメージさせた。やめたくなる気持ちも分かる。戻りたくなる気持ちも分かる。

「本当にサッカーが好きな人しか生き残れない」

その言葉は自分の記憶や体験、実感と重なり、妙に響いた。さて、憲剛のルーツを探ったところで、次は司令塔としての彼のプレースタイルに迫ろうか。キーワードは、「たぶん、本質的に目立ちたがり屋なんですよね、俺」である。

(All About FOOTBALL編集部・細江克弥)

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